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「牛歩三つ目童子」
独立独歩、牛歩先生。
暗闇から牛を引き出したような…とは、
あまりパッとしない人を揶揄する言葉だが、
あぁ、それはいかんねぇ。
人も牛も付き合って見ねばわからないもの。
牛は鈍重と言われるが、外見に似ず繊細な感性の持ち主。
一度通った道は決して忘れず、歩みはのろくても堅実。
小さな子供でも侮ることをしない。
何事にも反芻を旨とする哲学の徒である。
月あれば月の光を頼りに
闇夜なれば鈴の音を聴きつつ
黙してたどる四季の道々
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「三つ目弓引き童子」
納戸の神さま、笑童子。
近年、お目にかかれないものの一つに納戸部屋がある。
家の北奥に位置し、種籾や祭祀用具などを納め、
時には産室になり、死者の床ともなる場で、
その家の要である。
武将の奥方を「北の方」と呼ぶのもこれに倣ったもの
なのだろう。
明かり窓の少ないこの部屋は、特別な存在感があり
妙に落ち着く。
ある雨の日、種籾のカマスに寄りかかって
ぼんやりしていたら「ククク」…と笑う声がする。
怖くはなかったが、祖母に語ると
「それは笑童子、納戸の神さまじゃ」と、事もなげに言った。
東北地方の座敷ワラシとその根は同じようなものなのだろう。
不幸にして間引され、一度も大地を踏むことがなかった子、
それが家の守護霊となったという説もある。
履物を持たない子…なれば一本の樹の枝に登らせて、
一本の矢に変じて、まん丸の月まで行ってみやれよ。
弓の握りより上は天の十二神、下は地の十二神。
引かば満月、放てば半月、弓無くば闇となるなり。 |
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「三つ目韋駄天童子」
走れ、韋駄天。
あるとき、邪鬼が仏舎利を盗んで逃げた。
これをどこまでも追いかけて取り戻したのが
韋駄天で、駿足不屈の仏法の守護神である。
ちょうど舎利塔を彫ろうかな、という時に
ある方のネット投稿で、世にも不思議な形の
「アンデスジャガイモ」が目について、
そのイメージを勝手に拝借した。
仏舎利とジャガイモ…一見無関係のようだが、
仏舎利は仏の教えを育む芽。
ジャガイモもまた、いのちを育む…そう考えれば、
これあながち的外れでもないのかもしれない。
頭の鳥、一応ハヤブサなんですけど、ね。 |
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「三つ目寒山拾得童子」
鬼の一族、寒山と拾得。
寒山は深山に住む学者、拾得は麓の寺男。
二人とも蓬髪で、ほとんど性格は正反対ながら、
なぜかウマが合う。
寒山はふらりと里に下り、寺和尚を相手に禅問答を…
拾得は供えもののカケラなどを腰の竹筒に入れておき、
庭の隅で寒山と食べながら、話し込んでは「ふふふ」「ははは」。
何がおかしいのかと、耳をそばだて聴いてみても、
余人には、ついぞ理解できなかった、という。
二人の言葉は「鬼語」であったのかもしれない。
あるいは清俗は同根ですよということかも、ねぇ。 |
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「春王子一郎」
「夏王子次郎」
「秋王子三郎」
「冬王子四郎」
「土用王子五郎」 |
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日本五季物語 五郎王子の巻。
かつて南九州の薩南地方に、仏法普及と視覚障害者救済を兼ねた
盲僧琵琶の一大集団組織があった。男性版瞽女さんとでも言おうか。
天台宗に属し、春と秋、各集落の家内安穏を祈願して巡回。春は
麦一升・秋は米一升を布施となし、人々から「家督さん」と呼ばれて
親しまれていたが、高度成長期、貨幣経済の農村部への浸透によって
自然消滅。唯ひとり宮崎延岡で自寺・檀家を持ち布教されていた
永田法順師の2010年の死によって、鎌倉期以来約500年に
及ぶ「家督さん」による法灯は絶えた。
その盲僧琵琶の語り物のひとつが「王子の釈・五郎王子の物語」。
天帝に四人の王子あり。一郎に春、次郎に夏、三郎に秋、四郎に冬を
任せ、季節の守護の役とした。ところが五人目の王子が生まれ、
幼いうちは四人に付き従い興じていた五郎が、長じると自我目覚めて、
「俺にも役目が欲しい」…というわけで、五人の兄弟間に争いが生じ、
天候は不穏のうちに乱れに乱れた。
王妃これを憂い嘆き、同じ乳で育ち何ぞ争うや、と天より乳を絞り
一滴…すると、地はたちまちに一面の濃霧立ち込め、争いは止んだ。
天帝、改めて四人の王子たち集め、それぞれの季節の持分から数えた
最後の一八日を召し上げ、これを五郎王子の持分と定めた。
これが立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日までの一八日間の土用であ る。
これによって五人の王子は、おのおのが均等に約七二日間の持分となり、
宇宙天候は、再び順当な運行となったという。
かつてはこの各土用には、季候定まらぬことから「土耕さず種蒔かず」
などの禁忌があったが、今は夏土用丑の日「鰻を食おう」のみが残る。
大相撲の、東の青房(一郎)、南の赤房(次郎)、西の白房(三郎)、
北の黒房(四郎)、そして円い土俵(五郎)は、その名残りである。
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「三つ目お精霊雨童子。」
盆に降る雨、お精霊雨。
農家にとって一年のうちでお休みといえば、盆と正月。
なかでも盆三日は、不思議な静けさとやすらぎに満ちて
田にも畑にも人影ひとつ見えず…蝉時雨のみがしきり。
この期間は殺生厳禁で、河童たちもお休みだ。
私の集落では、この時期に降る雨を「お精霊雨」と呼んだ。
乾いた大地に音もなく雨が降ると、確かにそこここに
精霊がいて、ひととともに在るような
不思議な時間だった。
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「三つ目琵琶童子」
七歳の、琵琶始め。
毎年、春と秋に訪れる「盲僧琵琶」の家督さん。私の実家は
その家督宿。山奥のことだから、その訪れは何より嬉しい。
夜は薩摩弁でトンチ話などを聞かせてくれた。
ある秋、新任の家督さんが訪れ、谷奥の本家までの案内役が
私…大役だなぁ。本家までには、谷川があり橋はなく飛び石。
どうしよう、と迷っていたら、
「あんた下駄やろ、音立てて渡っておくれ!」と言う。
カンカン、パ、カン、パ。石九つを飛び振り向くと、
聞き耳を立てていた家督さん。最初の石を杖で確かめると、
ひょいひょいと、まるで見えるが如し。おぉ、すごい。
音、匂い、風…それを鋭く聞き分けるもうひとつの眼…
今でもこの光景は忘れがたい。この家督さんが
初めて修行に出たは七歳であったという。
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「三つ目蝉丸童子」(右)
「三つ目赤蜻蛉童子」(左)
精霊の行方。
郷里九州薩南地方では、盆に帰って来る祖霊の乗り物は、
蝉と蜻蛉ときまっていた。蝉は七年地中に住み、地上に出ては
短い夏のいのちの日々を鳴き明かす。赤蜻蛉は盆の時期に
申し合わせたかのように群舞する…そんなことからの伝承だろう。
祖父は盲目だったから、無言の蜻蛉さんではなく、もっぱら蝉派で
盆の入りの夕刻には、縁に正座し、聞き耳を立てて待つ…
一際大きな鳴き声を捉えるとそれを合図の如く「今お戻りじゃ」と
私を促し、盆棚に灯を点けさせたものだった。
小さな灯りが電気のない里山の家を照らし、黄昏に比例して、
序々に輝きを増すと、戦地で果てたという顔知らぬ父の
面影を見るような気がしたものだ。この時期の灯りには、
今でも、何かしら特別なものを感じてしまう。
灯ひとつ擂鉢谷の小家かな
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「三つ目杖鼓童子」
茶道の源流は里山にあり。
茶室の露地。そこに置かれた飛び石を見ると、
作庭の発想の根は、山里の景色にあるように思う。
飛び石の周囲に打たれた苔は、水の流れで、
その奥の茶室は、畑の隅の作小屋のイメージだろう。
こんな谷川の風景に出会うと、利休さんの言う
「侘び」の意味が何となくわかる気がする。
このところ韓流時代劇にはまっているから、
旅芸人の小僧に杖鼓を打たせてみた。ほんまは
今少し躍動感が欲しいところだが…
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「雲上鬼遊三つ目童子」
ほんとは怖い、鬼遊び。
鬼ゴッコなんて、近年だぁれもやらない遊びだが、
よくよく考えてみれば、その起源は恐ろしい。
暗闇に潜む鬼が、ひとをさらうという話だから…
私の祖父は次男でありながら喜一郎という名、祖父の
兄は名を源次。つまり私の祖父はスペアという訳だ。
「真田丸」の源三郎、源次郎の名前の逆転も同じ理屈。
そんな事を考えながら彫っていたら、黄泉の国に
妻のイザナミを尋ね、その変わり果てた姿を見て、
あまりの恐ろしさに逃げ帰ったイザナギの
「黄泉比良坂」の逸話も混在してしまった。 |
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「雲乗り春宵三つ目童子」(上) 「雲乗り月取三つ目童子」(下)
木の根供養。
家の庭続きに持ち主不明の雑木林があった。
欅、樫、桑、藪椿、山藤と、さまざまに…
中でも欅は樹齢相当な巨木で、梢に滑車をつけ
鯉のぼりを泳がせたり、秋は落ち葉焚きと長年の
お友だちだったが、四〇年目に宅地造成で伐られた。
ブルで根こそぎコネコネしたところでどうやら資金が
尽きたらしく遁走。草藪に放置された根を削って
雲に…小僧を乗せて供養してみた。
いい気分だと、そりゃそうだろう。
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「馬頭三つ目繭童子」
馬と蚕、不思議な関係。
馬は蚕の守り神じゃ…蚕に桑を与えながら、蚕の背にある
馬蹄形の紋章を指して、祖母は私にそう教えた。
桑しか食べず絹糸を吐く蚕。神社などに奉納される神馬。
共に「貴種信仰」という意味かと思っていたが、後年、中国の
古書『捜神記』に「馬の恋」とあるのを発見…ある娘に恋した
馬が叶わぬ恋の果てに娘をさらい、一本の木に繭となって
娘と籠もるというお話だ。薩摩では蚕を「ケコジョ」と呼ぶ。
ケコ=蚕、オゴジョ=若い娘、この二つが合わさって出来た
呼び名でもあるようにも思えてくる。
そしてわが国の遠野に伝わる桑の木を削った馬と姫の養蚕の
神オシラサマ…あぁ、これが祖母の情報源かと思いあたった
が、はてさて祖母は九州の奥山しか知らず、ラジオもなし、
本一冊読まず。これは謎だなぁ…この話、いきものと親密に
関われば、おのずと生まれる万国共通の説話としておこう。
蚕桑食む音、時雨に似たり |
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