Correspondances series によせて |
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ある秋の日、在住する市に古くからある公園を訪れた。掃き清められた園庭に、沢山のどんぐりを見つけることができた。腰を屈め、ひとつひとつ拾っていくと、広い敷地のあちこちに、まるで空の星を写したようにそれは落ちていた。園内を散策してみると其処此処に大きなクヌギの木が点在し、どんぐりはその木から落ち地上に星座を作っていることがわかった。 |
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その後、何度も公園を訪れるうちに、公園に隣接する広大な敷地内にある大きなクヌギの木と、園内にある樹木がほとんど同じ太さであることに気づいた。これまで当たり前に見てきた景色が、意図して作り上げられたものだと感じたとき、この土地の歴史を考えて見たいという気持ちが芽生えた。公園に隣接する林をくまなく見て回ると、やはり多くのクヌギは同じ太さであることが分かった。年輪を数えてみると、これらは戦前のある時期に、おそらくは薪として使うために沢山植えられた木の生き残りだと考えることができた。 |
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毎年、一本の木から少なくとも数千個以上落ちる実は、そのほとんどは朽ちてしまうが、ここに点在する大木は、星の数の程にも重ね合わせることができる可能性から生まれ、時間を越え、今に存在する。いまここに見える木という存在に、幾星霜の中で生まれたその奇蹟を見ることができる。ある空間に点在する、結実した形とそうならなかったもの。繋がるものと繋がらないもの。このような現象は、世界のありとあらゆる場所で起こる生命の、また運命の普遍的な現象として見て取れる。 |
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自然と人間、人間の中での理性と感性。言葉の壁を乗り越え、宇宙の中では、多くの個性が共感し、その世界を構成していると信じたい。ある日の出来事を通じて得られた共感は、空間を越え交感している照応(Correspondances
: コレスポンダンス)の世界を私にイメージさせた。 |
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